音楽があるからこそ、仕事も頑張れる【B面】01.バンドマン/広告・人材業界の営業職

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起業やフリーランスなど、働き方や生き方が多様化している現在。しかしどちらか一方ではなく、会社員を続けながら自分の好きなことを始めたり、続けていく選択をする人たちがいます。

そんな道を歩む人に焦点をあてて、話を聞いてみたい。そう思って立ち上げたのがインタビュー企画『B面』です。

表の顔である会社員と、もうひとつの顔『B面』を持つ人たちが、普段どうやって時間をやりくりし、どんな風に活動しているのか。一人一人の活動を続ける想いに迫ります。


第一回は多忙な広告・人材業界に身を置きながら、SBYZ(シブヤズ※)・KEESHKAS soundservice(キーシュカス サウンドサービス)・GOOFY KINGLETS(グーフィー キングレッツ)と3つのバンドのベーシストとして活躍、さらにAkissA名義でDJとしても活動する田中暁央(たなか・あきひさ)さん(37歳)。社会人生活14年、会社員を続けながらバンドマンやDJとしても音楽活動を続けてきました。途中、新しいバンドを始めたり、転職をしたりする中で両立が大変な時期もありましたが、音楽をやめようと思ったことは一度もなかったといいます。

「バンドを続けているからこそ仕事も頑張れる」「様々なコミュニティに身を置くことが仕事に活きている」と話す田中さんに、今までの経歴と好きな活動を続ける意味について伺いました。

※SBYZは、2019年1月から活動を休止することを発表した

どんな人?

photo by 小坂 淳

田中暁央さん(37歳)
職業:広告・人材業界の営業職

社会人歴:14年
活動歴:22年
両立を続けてきた年数:14年

◎個人アカウント/Twitter


プロの世界の片隅を見れたことで、現実を知った

ーー まずは表の顔・仕事について聞かせてください。普段どんな仕事をしているんですか?

仕事は広告・人材関係の営業職で、休みは基本カレンダー通りで9〜18時の勤務シフト。普通のサラリーマンです。

ーー とはいえ、業界としてはだいぶ忙しそうなイメージなのですが…。

うーん。それでも土日休みだし、平日も20時くらいには帰るようにしているからそんなに苦ではないですよ。

田中さんが時々DJとして活動を行う、東中通にあるeditors cafe-エディターズカフェにて

ーー そうなのですか。そして、もうひとつの顔として3つのバンドのベーシスト・DJとして活動していると。

そうですね。KEESHKAS soundserviceは大学のときから、SBYZは2014年に結成、GOOFY KINGLETSは2017年から活動に加わって。 DJは誘われたときに無理のない範囲でって感じですね。

ーー そんなにたくさん…!そもそもバンドを始めたのはどんなことがきっかけだったのですか?

バンドを始めたのは、高校1年生のとき。ありきたりだけど、幼馴染と一緒に行ったJUNK BOXっていうライブハウス(※現GOLDENPIGS)で観たバンドがめちゃくちゃかっこよくて「あぁ、バンドやりたいな」って思ったんです。それですぐ楽器屋さんに行って、ギターを買いました。それまでブルーハーツとか、ハイロウズとかロックを聴いてはいたけど、「バンドできたらいいなぁ」という憧れ程度。でもライブを観たら「これはやらなきゃいけないな」と決心がつきました。

ーー そうして楽器を始めて、バンドを組んだのですね。

はい。といっても、僕も最初はギターで友達もギター。あるあるですが、いざバンドを組もうとなったときに、ぶつかって。それで「じゃあ、(しょうがないから)ベースやるわ」といった流れでベースになりました。

その後バンド活動を続ける過程で、大きなオーディションに通ったりもしました。それでうっかり勘違いをしていて、「あれ?これお金になるんじゃ?」と思ったこともありましたね(笑)。

ーー 大きなオーディション!十分すごいじゃないですか!

でもこういった経験があったからこそ、プロになるにはやらなきゃいけないことも多いんだって感じることができました。意図せずスケジュールをどんどん組まれていったり、求められる曲を求められるペースで作らなきゃいけなかったり。夢のある世界だけど、それで生きていくためには当然に大変な部分も多いなと。

音楽が心の支えだった、新卒時代

ーー 学生のころにその世界を少しでも見れたのは貴重な経験ですね。そして大学に進学して、音楽活動を続けていくと。

高校生のころのバンドは、メンバーが東京の大学へ進学したりしてあっさり解散。僕は新潟の大学に通うことになったので、そのまま地元で音楽を続けることに。その後軽音サークルの仲間や知り合いの繋がり経由で今のKEESHKAS soundservice(以下、キーシュカス)のメンバーに出会いました。

ーー 大学生のころからの付き合いなんですね。当時はどれくらいの頻度でスタジオでの練習やライブをしていたんですか?

スタジオは週1〜2回、ライブも最低月1回くらいはやっていました。当時はあぽろん古町店にあるスタジオに通って練習をしたり、自分たちでレコーディングをしてCDを作ったり。自分が出演しないときでも頻繁にライブハウスに足を運んでいたりして、大学生なりに生活の軸になっていましたね。

初めてDJ機材に触れたのも大学のころ/photo by 小坂 淳

ーー 音楽に打ち込んでいたんですね。就職のときに音楽の道へ進もうとはしなかったのですか?

一切考えなかったです。当時は自堕落な生活で就活自体もあまり熱心にしてなくて、教員の紹介で1社目に入社した感じで。学生のころに、プロの世界の片隅を中途半端に見て大変さを学んだことが大きかったと思います。音楽自体を楽しみたい気持ちも強かったので、それ以降は一度も考えたことがないですね。

ーー それほど厳しい世界なんですね。社会人1年目になったころの活動頻度はどれくらいだったのですか?

ほとんど変わらず、月に1回以上はライブを続けていました。新卒のころは仕事に熱心に取り組むタイプではなかったので(笑)、バンドがあるから仕事も頑張れている状況でした。入社当初ってなにかと辛いじゃないですか。でも「この仕事を頑張れば、バンドがある」って感じで。そこは今もあまり変わっていないかもしれないです。

ーー 今もですか?

はい。僕にとってのバンド活動は、ストレスからの逃げ場でもあって。同時に「今日の仕事を○時までにやりきれば」と仕事のモチベーションにもつながっていますね。

ーー なるほど。そういった側面もあるんですね。就職後はしばらくキーシュカス一本で?

25歳のころからmonoeye(モノアイ)いうエレクトリック・ジャズの要素が強いバンドに2年間所属していました。有名なジャズマンにも高く評価されているような人がリーダーにいて、それまで体験したことないような刺激に溢れた日々でした。様々な場所にツアーに行ったり、大手CDショップやメディアにプッシュされたりもしていて。一番忙しい時期でしたね。自分だけ演奏スキルが追いついていなかったから、自宅で練習もたくさんしたし、スタジオにも頻繁に入っていました。

ただ活動を続けることが段々と難しくなってきて。当時は今よりも時間的な拘束の長い仕事をしていたんですが、休日返上で働いてなんとかバンド活動に充てる時間を捻出していたような状況でした。バンドはどんどん有名になる一方、自分自身は仕事や家庭の事情もあり両立が大変になってきて。結果脱退することになってしまいました。でもあの2年間が演奏家として一番の財産になったと思っています。貴重な経験をさせてもらいました。

30歳を超えて、音楽との向き合い方が変わってきた

ーー そんな時代があったんですね。その経験を経て、2014年にSBYZを始めるんですよね?大変な経験をしたあとでなぜ新しいバンドを組んだんでしょう?

30歳を超えて音楽との向き合い方が変わってきて。もっと純粋にお客さんに楽しんでもらうことにシフトしたいなって思うようになったんですよね。

ーー 気持ちが変化していった?

そうですね。渋谷(※SBYZギターボーカル)と深く話をするようになって変わっていったんだと思います。もともと彼がやっていたthe hills(※2016年5月1日のライブを以って活動休止中。2019年2月10日一夜限りの復活ライブを予定)は、自分たちのやりたい音楽と、聴く側を楽しませることのバランス感覚がすごく良いバンドで。そのライブを観たり、話をしたりする中で少しずつ変わっていきました。

SBYZ / photo by せりか

ーー いざ、SBYZを始めてみてどうですか?

ものすごく楽しかった。バンドってこんなに楽しいんだって初めて知りました。どうしてもっと早くこのメンバーでやらなかったのかって(笑)。

ーー そんなに!でもその時期のTwitter見てるとかなり忙しそうでしたよね?21時ごろに「今から三条!」って呟いていたりして。「仕事もあるのに大変じゃないのかな?」って思っていましたけど…。

体力の消耗は全然苦じゃなかったですね。むしろあと数時間で仕事を終わらせれば夜はスタジオって思いながらウキウキと仕事をしていたし。やりたいことのために自分の生活をコントロールすることって慣れると気持ち良いんですよね。

ーー ああ、確かにその気持ちは少しわかる気がします。ちなみにその頃のライブの頻度はどれくらいだったのですか?

SBYZが始まったころは、月に2回くらいライブをしていましたね。日曜夜に県外でライブをして、朝帰り、そのまま月曜に仕事とかも。キーシュカスが月に1回ライブだから、合わせると月に3回くらいはライブをしていたんじゃないですか?

GOOFY KINGLETS

ーー え!?そんなに!その上でGOOFY KINGLETS(以下、グーフィー)に加入したんですよね。このバンドにはどんな流れで入ったのでしょう?

もともと大好きなバンドで、お互いのライブ企画に呼んだりして交流はありました。で、グーフィーのベースが抜けるって話があって誘われたんですね。でも最初は断ってて。すでに2つバンドをやっていて、かつ転職のタイミングだったからこれ以上はさすが厳しいなと。

ただあるとき、グーフィーのリーダー伊藤さんと飲むことがあって。そのときグーフィーはどんどん大きなイベントとかに出演が決まっていたので、新しいベース決まったんだなと思ってそんな話をしたんです。そしたら「いやー、なんだかんだ暁央さんが弾いてくれるかなと思って」って言われて。

…超勝手ですよね(笑)。しかももうイベントまで時間もないタイミングだったんです。仕方ないから決まっているイベントはサポートとして出るよって。以来、楽しさに抗えずにずるずる付き合っているうちに、いつの間にか正式に加入していました。

ーー いつの間にかだったんですか。でも最近海外でライブをする機会があったりと活動の幅が広がってますよね?

そうなんです。先日グーフィーで台湾の大きなフェスで演奏する機会にも恵まれました。そのときの演奏が本当に楽しかったんですよね。ほとんどが僕らのことを知らない人たちなんだけど、それぞれの踊り方で、それぞれの言語で声を上げて僕らの音楽を楽しんでくれている状態を実感できて。言葉は通じなくても、僕らが演奏する音楽を通じて同じ喜びを共有している。そんなフロアの光景を見ていたら、言葉では言い表せないような幸せな気持ちになりました。今後はあんな経験ができる海外でのライブを増やしていきたいなと思っています。

お互いを高め合える、音楽と仕事の関係性

SBYZ / photo by サトウハル

ーー 音楽って本当に言語を超えるんですね。でも3つのバンドを掛け持ちして、忙しくて。周りから何か言われることはないのですか?

たぶんどっぷり音楽をやっている人っていうイメージがついているから、なにかを言われたり期待されることはないですね(笑)。でも仕事は別。営業だから成績が伸びないときには「趣味に気を取られ過ぎているんじゃない?」って絶対思われてしまう。余暇に全力で音楽に打ち込むためには、仕事の成果にはこだわらなければいけないので、そこにはいつも気をつけています。やっぱり音楽をするために仕事を頑張れている部分は大きいと思いますね。

ーー 確かに趣味のために仕事を頑張れるときってありますよね。

そう。しかも音楽を続けていることで仕事に生かされている部分もあると思います。色んな場所に身を置いて、色んな人と付き合うことで価値観が広がるし、自分と違う人に対する寛容さも身についたり。バンドだったらフリーターとか学生とか、それこそ音楽だけで生活している人もいる。仕事の付き合いだけでは関わらないような人たちと一緒にいるからこそ、ものの見方に幅が出てくるし、局面を打開するためのヒントも得られています。これはバンドに限らずですが、様々な種類のコミュニティに居場所があるっていうのは得だなと思います。

ーー 長年続けてきたからこそ説得力がありますね。最後に若い人へのメッセージは何かありますか?

純粋に「何か打ち込めることを続けていたら楽しいよ」ってことを伝えたいですね。大変なことも多いですが、音楽も仕事もお互いに良い影響を与え合っているので。両立が大変だった時期もありましたが、音楽活動が励みになっていました。こうしてやってきたからこそ、今の自分があるんだと思います。

今は音楽も仕事も、毎日が楽しいですよ。

 


そう笑顔で話す田中さんの顔からは、今まで続けてきた音楽活動への自信とこれから目指す未来への楽しさが垣間見られたような気がしました。

永遠の課題、仕事と趣味。どちらかを選ぶことも道のひとつ。

でも私たちは、両方を選ぶこともできるのです。


この記事のライター:長谷川円香
新潟県在住フリーライター、前職は求人広告営業職。

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