閉校した三条市立南小学校をリノベーションして2015年に誕生した「三条ものづくり学校」。「ものづくりのまち」として注目を集める燕三条エリアのまったく新しい情報発信拠点として県内外から注目を集めています。
2017年12月3日に燕三条ミニ四駆大学の「燕三条ミニ四駆大学 OPEN CAMPUS 2017」が開催されました。2回目の開催となる今回は、米粉を使ったパンなどを楽しめる食のイベント「ベイべイクデイ」も同時開催。
前編では、その模様をフォト・レポートでお届けしました。
続く後編では、根津孝太氏、やまざきたかゆき氏、JUN WATANABE氏の3名によるトークイベント、さらに主催者の三条ものづくり学校のキーパーソンからお話を伺い、開催にまつわる想いの面にフォーカスします。
学長杯の熱い戦いの合間には、今回のミニ四駆イベントのゲストである燕三条ミニ四駆大学学長の根津孝太氏、やまざきたかゆき氏、JUN WATANABE氏による鼎談が開催されました。
タミヤの人気プロダクトを世に送り出した共通点を持つことからファンの間で「タミヤ三銃士」とも呼ばれる3人。
鼎談のテーマは「ホビーの突破力!」
ラジコンとミニ四駆の路面グリップ性の違いなどの専門的な話からデザインをしていく過程の貴重な話などを語り合いました。
3名は同じデザイナーという立場。普通に考えれば「デザインでつながる」と考えがちですが、実はそうではなく、「ホビーによってつながっている」ということを話していました。
もともと「業界やカテゴリーを”ぶち抜いてつながる力”がホビーにはあるのでは」という根津氏の問題提起から設定されたこのテーマ。
「まず、これ着てるだけでもう、すぐ仲良くなれるよね(笑)」とやまざき氏。3氏が着ているのは★マークがふたつついた、タミヤのロゴパーカー。これを着ていると、ミニ四駆、RCカーだけでなく、模型ファンなどと垣根なく自然に会話が生まれるそう。
「近頃では少なくなってしまったのかもしれないけれど、たとえばクルマだったら、昔は割と『実車ーラジコンーミニ四駆』みたいなつながりが自然と生まれていたよね」と根津氏。
同じ「クルマ」というカテゴリーで興味が広がっていくのはわかりやすいというか、想像しやすいところです。しかし、最近は少し違った興味の広がり方を提案しているそうです。
ラジコンのデザインとともに、スニーカーやアパレルなどのプロダクトも数多く手がけるJUN WATANABE氏。
「もともと洋服とかスニーカーのデザインをやっていて。それと全く同じデザインのラジコンを作ることで、そっちの人たち(JUN WATANABEのアパレルファン)をこっち(ラジコン)に引き込みたいという狙いはあるんだよね。そうしていかないと、広がっていかない。キッカケを増やしたいんですよね」
大切なのは、キッカケを増やすことー。
近いカテゴリーから横のつながり的に興味を持ってもらうのではなく、まったく別の世界から興味をもってもらうキッカケづくりが大切という話で3名は一致していました。
ホビーは楽しさを生み出すことを宿命づけられて作られるもの。楽しさがキッカケを生み出すことによって、予期せぬ広がりをみせるのかもしれません。
働きかけるのではなく、キッカケがふえることを期待する
学長杯の熱戦と鼎談に、観客席からあたたかい視線を送る一人の男性がいました。
三条ものづくり学校を運営する、株式会社ものづくり学校の代表取締役社長、高山勝樹氏です。
そもそもミニ四駆×学校という組み合わせは、ものづくり学校の第1号であるIID 世田谷ものづくり学校(廃校になった旧池尻中学校の校舎を世田谷区から借り受け、2004年にオープン)ではじまりました。小学校の長い廊下でミニ四駆を走らせたら面白そう!という根津さんのアイデアからスタート。施設内にコースを設置し、ミニ四駆のイベントを開催するようになったのだとか。
その動きは、東日本大震災の被災地にコースを持っていき、遊び場を提供する活動にもつながっていきました。
「ある時、ふと考えたんです。持ち込んだコースを引き上げちゃったら、どうするんだろうと。今までそこで遊んでいた人たちは遊び場がなくなってしまいますよね。だったらダンボールでもプラスチックでもなんでもいいから、自分たちのできる範囲で作っちゃえばいいじゃんと。そういうことから、まずIID 世田谷ものづくり学校で手作りで実験的に始めたんです」と高山氏。
こうした動きが自然にリンクし、燕三条ミニ四駆大学にもつながっていきました。
「意図しないつながりが生まれることを期待しています。たとえば、ミニ四駆のイベントをやるにしても、当たり前だけど、興味がない人は基本的に来ないじゃないですか。そこで今回は新潟=米ということで、うちのスタッフが米粉を使ったイベントを考えてくっつけてみたんです」
イベントを企画したら、その後は自然に物事が進んでいったそうです。
これこそ、燕三条に必要な考え方なのではないか。高山氏はそう話します。
「燕三条はものづくりにかける熱意がものすごいですよね。そういう土地で、うち(三条ものづくり学校)のスタッフがいろいろと企画して、地元の人たちはそれに沿って動くだけというのでは、あまりにももったいないと思うんですよね。そうではなく、地元の方々が自分たちで(場所を上手く)使わないと、こういう場所が存在する意味がないと思っています」と高山氏。
「この会社とこの会社は、それぞれすごい技術を持っているからくっつけてみたいとか、このデザイナーを企業に紹介すると面白いものが生まれそうだなとか。燕三条というエリアには、本当にもう、可能性がわんさかあるんですよ。そこで我々がガッチリとセットしてあげるのではなくて、あくまでも自然発生が起こるような場所づくりを続けていきたいんですよね」
イベント会場内をくまなく歩いて回りつつも、あれをしろ、これをしろと指示を送るのではなく、優しく見守る高山氏の姿自体が、三条ものづくり学校の方向性を示しているようにも感じられました。その姿は、どことなく校長先生のようでもありました。
現場の実務を取り仕切る事務局長である斎藤広幸氏は、こう付け加えます。
「色を出していかないことが大事」である、と。
あえて「こういう場所ですよ」というラベルを出したり、イベントの色を出しすぎないことで、思わぬ化学反応を引き出したいとの思いがあるのだといいます。
「○○のイベントです!と宣言してしまうと、どうしても囲い込みのような形になってしまう。それ以外の人は、私は来てはいけないんじゃないかと思ってしまうかもしれないですよね。そうではなくて、たとえばミニ四駆なら”ガチ”のミニ四駆フリークはそのまま楽しめるし、フラーっと来てくれた人でも、なんとなくでも楽しんでもらえるような、そんなイベントにしたかったんです」と斎藤氏。
限定しすぎず、かといって広げ過ぎもしない。
そして、無理に働きかけたりもしない。
偶然から生まれる、興味や学び。
よくよく考えてみると、小学校はそんな場所やきっかけがたくさん用意された場所だったような気がします。
元は小学校だった場所を使った三条ものづくり学校は、それを自然に生み出す場所として、遊びと学びの場を提供してくれる、最高の場なのでは。そう思わせてくれる一日でした。
この記事のライター 竹谷純平(フリーライター)
※本記事の内容は取材・投稿時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新情報につきましては直接取材先へご確認ください。