「地獄」と「極楽」の境界線。その名も「地獄極楽小路」

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この記事のライター あらきやすし(会社員)

新潟市中央区に、ちょっと変わった名前の通りがあります。

その名も「地獄極楽小路」。

いったいどんな理由で、こんな名前が付けられているんでしょうか。

方や高級料亭、方や・・・

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「地獄極楽小路」はあるのは、中央区西大畑。閑静な住宅街の中にある西大畑公園の前を通る、車2台がすれ違うのがやっとなくらいの細い小路です。

写真の向かって左側に見える黒壁は、「行形亭(いきなりや)」のもの。

「行形亭」は「鍋茶屋」と並び、新潟を代表する高級料亭です。創業は江戸時代中ごろ(元禄年間)といわれ、現在でも新潟芸妓さんを招いた会食などで利用されています。

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そして、この「行形亭」と小路を挟んで向かい合うのが「西大畑公園」です。

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一見普通の公園ですが、入り口の横に、こんなものが・・・

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小さい門です。赤レンガ造りでオシャレな感じにも見えますが、鉄格子がはまってます。

実はこの門は、かつてあった監獄所(新潟刑務所)の通用門を縮小再現したもの。

そう、この西大畑公園があった場所は、昭和46年まで刑務所があったのです。

「高級料亭」と「監獄所」、まさに天国と地獄が、この細い小路を隔てて隣り合っていました。

そこで、この細い通りが『地獄極楽小路』と呼ばれるようになったのだそうです。

この地に刑務所があった当時、「行形亭」の敷地内にあった築山からは刑務所内が見下ろせた事から、刑務所の収容者からも、芸妓と客が戯れる様子を見る事ができたそうです。さらに夜になれば、料亭から漏れる三味線の音や歌声は収容者にも聞こえてきたようでした。

(参考:http://sankei.jp.msn.com/region/news/120220/ngt12022016570001-n1.htm

うーん、まさに「地獄」と「極楽」

何故にまた高級料亭の隣に監獄所を建てたんでしょうね。

刑務所が移転した後、「西大畑公園」が整備されるまで、しばらくの間この地は“刑務所跡地”として放置され、近所の子供達の格好の遊び場になっていました。

ただ、刑務所を取り囲んでいた高い赤レンガの塀はそのまま残されおり、「地獄極楽小路」を挟んでの「行形亭」の黒壁との対比が、なんともいえない風情を醸し出していました。

公園が整備されるにあたり、その赤レンガ塀も撤去されることになりました。しかし、地元の住民から撤去を惜しむ声も上がったため、公園の塀垣の一部に当時の刑務所のレンガを使用することになったのです。

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せっかくなので、「西大畑公園」にも寄ってみました。

公園内には桜の木が何本も植えられています。公園が出来たのが昭和60年なので、どの桜の木も立派に大きく育っています。桜もちょうど見ごろでした。

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さらに園内には、かつての新潟の堀割(西堀)を再現しています。柳の木も植えられています。

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ここには「新潟市美術館」も隣接しています。

かつて「地獄」側だった地は、現在は港町新潟の風情を再現した、市民の憩いの場になっているのです。

ちなみに、「地獄」側は公園だけでなく、その一角には「新潟西年金事務所」があります。

こちらは「地獄」じゃなく「極楽」のような老後を実現してくれたらいいのにな、なんて淡い期待をしております。

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 スポット紹介

行形亭

 西大畑公園

新潟市美術館


あらきやすしこの記事のライター あらきやすし(会社員)

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