越後の月は良寛さん。フリーペーパー「ふうど」を読んで (後編)

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この記事のライター 雪野瑞谷(環境保全系技師)

前編:https://niigata-repo.com/culture/post-824/

新潟育ちながら良寛さんについてあまり知らなかった私。フリーペーパー『ふうど』を読んでさまざまな発見がありました。良寛さんの”盗人に とり残されし 窓の月”の句ですが、この号でインタビューを受けた新潟良寛会の柳本雄司さんのお話によると

「五合庵に泥棒が忍び込んできた時、何も盗る物がないことを気の毒がり、わざわざ寝返りを打ち、ふとんを盗りやすいようにした。あとに残ったものは窓から見える月だけ、という意味です」

そうなんです。単に物悲しくも美しい句だけではありません。

その句の背景には、困っている人には身を呈して貢献しようとする、良寛さんの慈悲の心が潜んでいるのです。あの窓の月は、良寛さんの慈しみの心の象徴なんですね。 

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柳本さんは続けます。

「この優しさが好きです。雨に濡れる田中の一本松を心から気の毒がったり、ノミやシラミを自分の懐で大事に育てたりもしてますね。あらゆる命に慈愛をそそぐ精神性は日本人の心のふるさとです」

これは良寛さんが「すべてを愛す」という、 すごい慈しみの心を持った人だったのだということ。

ちなみに、たとえばムツゴロウさんはライオンに指を噛まれてまでも愛したという事件が有名ですが、良寛さんも慈悲深すぎてちょっとギョッとするようなエピソードもあるみたい…がそこはご愛嬌なんでしょうか。

いずれにしても、良寛さんから”真”の慈しみの心が感じられることは間違いありませんね。

また、ちがうページには、エピソードにこんなものがあります。

「村中を歩く良寛さんが多少の悪さをしても、村の人は<しかたないね>と気にかけなかった」

良寛さんは托鉢僧。そのため、食べ物は里の家々を廻って恵んで頂いていました。だから謙虚なんだろうと思いがちですが、多少の悪さって…。一体何をしていたのでしょう(笑)

私が子供の頃に触れたイメージだと、良寛さんは仏のようなパーフェクトパーソンかのように思っていました。しかしその実、ちょっと変なところや悪さをする、なんだかどこか欠けている、ある意味人間ぽいところもあったのかもしれないと思うと急に親しみが持てました。

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「この寛容さと親切心は、国上だけではない。良寛さんが歩いた里山はどこか古風で奥ゆかしい気配がある。−中略− 厳しすぎず、平坦すぎず、いい加減の地形に籠る温さ」の人たち。

執筆者さんいわく、そんな良寛さんを受け入れたのが新潟の風土。

弥彦山系から三島郡まで、低い山がぽこぽこと連なった裾野ののどかな農村という”ふうど”が醸し出した寛容な人々が、良寛さんを支えていた、ともとれそうです。

良寛さんの具体的なエピソードというより、背景がいろいろ知ることができる読み物でした。全部読んでみて、これまで良寛さんに抱いていたイメージとは異なる見方ができるようになりました。

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良寛そのひとの人物だけでなく、周りの人も良寛さんを敬い、赦して支えた。

それらは越後の風土がつくりあげたこと。そして良寛さんも、その風土を、自然を愛し味わい尽くして生きた、と。

自分が生まれ育った蒲原平野の風景が好きな私にとって、はじめて良寛さんと共通したものを感じた機会でした。

まずは、川端康成のノーベル文学賞受賞記念講演『美しい日本の私』をもういちど読んでみたいと思います。良寛さんの話がでていますからね。


おまけ:窓クラブ 窓から出かける知的好奇心の旅へ http://ps.nikkei.co.jp/YKKAP/season4/haiku/02/01.html


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