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気になる!新潟市の「水戸教公園」に行ってみた

気になる!新潟市の「水戸教公園」に行ってみた

この記事のライター あらきやすし(会社員)

みなさんは『水戸教』ってご存知ですか?

実は新潟市に「水戸教公園」という名の公園があります。『水戸教』・・・・宗教ですかね?でも『水戸教』なんて聞いたこと無いです。

はじめて地図で、この「水戸教公園」という文字を見つけて以来、気になっていました。そこで、実際に行ってみました。

とにかく「水戸教」に行ってみた

地図によると「水戸教公園」がるのは、新潟市中央区、いわゆる“新潟島”の先端あたりです。

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「みなとトンネル」近くの閑静な住宅街の中、ちょっと奥まった場所にその公園はありました。

果たして、どのような公園なのでしょうか。やっぱり何か儀式的な事とかをやる場所なのでしょうか。

想像を膨らませながら、住宅街の奥にある公園に向かって歩いていきます。

最初に見えてきたのは、予想に反して「避難場所のあんない」看板でした。

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・・・近所の公園でも見かける案内板です。なんか、名前以外はフツーの公園っぽい雰囲気です。

公園の入り口です。木製ですが立派な門柱に、大きく「水戸教公園」の文字が刻まれています。

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ジョギング中の人が公園内に一人居た他は、特に人気は感じられません。

記念碑がありました

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公園の中に入ってみました。小高い丘があり、なにやらモニュメントのようなものが見えます。

近づいてみると、石版に説明書きがありました。このモニュメントは新潟市が設置した「平和記念碑」でした。

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終戦後50年の年に、新潟市が平和を祈念して新潟港を見渡せるこの公園に記念碑を設置したとあります。

そして、この「平和記念碑」と向かい合う形で、もう一つ石碑が建っています。

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こちらは「新潟開港百年記念碑」です。明治元年、新潟港が外国に向けて開港されてから百年となる昭和43年に建てられたものでした。

謎の櫓(やぐら)と、「水戸教」の正体に迫る!

そして、この丘の上にもう一つ、大きな木造の建築物があります。

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滑り台のようにも見えますが、違いました。緩やかな階段が付いていて上まで登れます。

展望台?櫓(やぐら)?のような感じです。

09-mitokyo 櫓(やぐら)の上まで登ってみました。海が見渡せて、見晴らしがすごく良かったです。

記念碑や展望台のような櫓(やぐら)がり、あと少なからず遊具もあったりと、見た感じは普通の公園です。果たして『水戸教』って何なのでしょうか?

櫓(やぐら)の下に、案内板がありました。

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江戸時代から昭和の初めまで新潟港の水先案内をしていた水戸教は、やぐらに登って港に入ってくる沖合の船を確認していました。(案内板より)

『水先案内をしていた水戸教』・・・水先案内?さらに謎が深まります。

ところが、公園の入り口にも実は案内板がありました。こちらはもう少し詳しく書いてありました。

『水戸教公園の由来』と題された案内板によると

江戸時代、「水戸」と言う言葉には「港」・「河口」という意味

があり、

船を安全に岸につける案内をする、水先案内人が必要。新潟では、その水先案内人のことを“水を教える人”=「水戸教」と呼んだ。

のだそうです。

なるほど、『水戸教』とは宗教ではなく、江戸時代の港の見張り番の事だったのですね。

しかもこの『水戸教』は、昭和になってその歴史に幕を降ろしたとの事。割と最近まであったんですね。

なるほど、なるほど、と思いながら、ではその『水戸教』ってどんな人が務めていたのか?どんな任務があったのか?など気になってきました。

もっと詳しく「水戸教」について知りたい!

そこで「水戸教公園」のすぐ近くにある「新潟市歴史博物館 みなとぴあ」に行ってみました。

「みなとぴあ」では折しも『大新潟湊展』を開催中、何か関連した展示もあるかもしれないと思ったのですが、常設展も含めて、特に『水戸教』に関する展示はありませんでした。

しかし、実は「みなとぴあ」には『情報ライブラリー』という部屋があります。

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ここには、様々な郷土資料の書籍が収蔵されていて、自由に閲覧できます。展示を見て疑問や質問がある時、この部屋に来ると学芸員さんがアドバイスしてくれます。

そこで、ここで『水戸教と水戸教公園について詳しい資料が見たいのですが』と話したところ、奥の書庫から2冊の書物を出して下さいました。

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1冊は『新潟港史 上巻』。大正時代に刊行された、新潟港の歴史をまとめたもので、ここに「水戸教」に関する記述があります。その後刊行された「新潟市史」などでの『水戸教』に関する記載は、この『新潟港史』の内容を基にしているのだそうです。『水戸教』に関しては4頁に渡り記載されています。

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しかしこの本、大正時代の刊行物ということもあって、旧仮名遣いで書かれています。4頁程度と言ってもこれを読み込むのはちょっと時間がかかりそう。

もう1冊は『新潟港水戸教の由来について』。全部で6頁ほどの冊子です。刊行年は明記されていないのですが、文中から察するに1967年頃のもののようです。こちらは現代仮名遣いでした。

「水戸教」は新潟の発展を陰ながら支え続けた由緒ある役職だった!

この二冊の書籍の内容をおおまかにまとめてみます。

新潟の港は江戸時代になってから栄えてきます。

そこで廻船問屋が専任の「船見番」を置くことにしました。当時、漁夫をしていた仁太郎がその任に当たる事となり、以降、仁太郎の子孫が代々世襲でこの務めに就く事になります。

今から283年前の享保16年、それまで河口で合流していた信濃川と阿賀野川が分かれてしまいました。そのため新潟の湊は川底が浅くなったため大きな船の出入りが困難になってしまいます。

そこで、専任の「水先案内人」を置く事となり、港口に詳しい仁太郎がこれを務める事となります。

この役職を『水戸教』と呼ぶことになりました。これが今からおおよそ230年ほど前になります。

仁太郎は伊藤という姓を名乗り、代々「伊藤仁太郎」として、水戸教の役職を担いました。

その『水戸教』の任務については、以下のように記載されています。

 

毎日、日和山に登って、日和見をし、船見をすると共に、毎日港口の水深を測り、出入船舶の案内に当たつたが、天候が険悪で難破しようとしている船をみつけると、一身の危険を顧みず難船救助の任に当たり、港口の航行安全を保つてきた。

ちなみに伊藤仁太郎には、複数の部下も居たようです。

毎日、船見だけでなく水深も測り、さらに命がけの任務もあったのですね。『水戸教』は港町新潟の発展を陰で支えてきたわけです。

これはもうNHKの「タイムスクープハンター」(http://www.nhk.or.jp/timescoop/)で取り上げて欲しいです。

明治以降の「水戸教」

江戸中期から幕末期にかけて、新潟の港口には信濃川から運ばれてきた土砂が堆積していき、それまで『水戸教』が詰めていた「日和山」から港が遠くなってしまいました。そのため、天保の頃には「船見番小屋」、幕末から明治初年頃には「仁太郎小屋」が造られ、そこで任務にあたっていたようです。

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こちらは明治初年のものとされる、『水戸教』伊藤仁太郎の写真です。左側の人物が仁太郎で、遠眼鏡を使い港口を見ています。右の人物は仁太郎の配下の者と思われるそうです。

15-mitokyoこちらも明治初年のものとされる「仁太郎小屋」の写真です。左側に見えるのが「船見櫓」でしょうか。

維新後『水戸教』は紆余曲折を経て、明治13年には『水戸教』は公的事業として存続し続けます。

大正から昭和初年にかけて、新潟港は近代化され水深も安定したことから、140年に渡った『水戸教』は廃止されました。以降は県直営の水先案内が行われたのですが、その任務を担った「水先案内人会」は『水戸教』の施設を引き継ぎます。しかし、昭和39年に火災で『水戸教』の建物も周囲の松林とともに消失してしまいました。

その後はしばらく、何も無い砂丘となっていたようです。その後、『水戸教』の足跡を記念して、新潟港が見渡せる地に作られたのが、この「水戸教公園」なのです。(水戸教公園の案内板より)

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という事で、一見、普通の公園にみえる「水戸教公園」ですが、そこから新潟の町の歴史をしっかりと感じる事ができる、魅力あるスポットでした。

それでいて、静かで眺めもいい、なかなか素晴らしい公園でもあります。近くには「みなとタワー」や、『水戸教』発祥の地でもある「日和山神社」、「みなとぴあ」などもあります。お天気の良い休日、新潟島の先端にあるこの公園に行ってみませんか?

スポット紹介

水戸教公園

  • 住所:新潟県新潟市中央区雲雀町18番地

新潟市歴史博物館 みなとぴあ

  • 住所:新潟県新潟市中央区柳島町2-10
  • 開館時間:博物館本館 4月~9月 9:30~18:00
  • ホームページ: http://www.nchm.jp/

あらきやすしライター あらきやすし(会社員)

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