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あながち嘘でもないかも。越後平野の沈没。

あながち嘘でもないかも。越後平野の沈没。

この記事のライター 雪野瑞谷(環境保全系技師) 

雪野です。先日書いたエイプリルフール記事「【速報】越後平野が沈没(4月1日)」は嘘でした。

あの記事の地図ネタを思いついたのは3月9日、長岡にある新潟県立歴史博物館の『謎の古地図』展にいったのがきっかけでした。

髮ェ8-ph1中は写真が撮れませんでしたが、なにが展示されていたかというと、

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越後古図 いわゆる『康平図』(池田雨工『越後古代史之研究』より)

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越後古図 いわゆる『寛治図』(池田雨工『越後古代史之研究』より)

越後を描いた、2タイプのミステリアスな古地図です。

上は康平三年(1060年)、下は寛治三年(1089年)。ともに平安時代の越後を描いた発祥不明の地図です。でもその頃ではなく近世に描かれた始めたとの説が主流で、江戸時代から多く複製され人々の手元へ流布したそう。

さて、この地図、特徴はなんといっても、越後平野が一面、海!海。弥彦・角田が岬!寛治図では佐渡へ向かって突き出ている??し近い!

…これが何かに似てるって?そうです。

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越後今図『平成図』(2014 雪野がかってに作成 若干修正)

この前の「【速報】越後平野が沈没(4月1日)」に載せたガセ地図です!

そうです、『謎の古地図』展でみた越後古図の展示がすっごい印象的だったので、マネしてしまいました。(佐渡が繋がっているのはやりすぎですが)

さて、この展覧会ではこれらが2〜30枚ほど展示されており、それぞれ細部は微妙に違ってバリエーションが若干ありました。一般の方の所蔵品もあり、みなさん大事にとっておいてるみたいですね。北越雪譜を書いた鈴木牧之の所蔵品もありました。

ちょっとディテールを見てみましょう。まずは前掲の『康平図』から。

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見事に平野が海

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岬部分。夜日子山(弥彦?)と角田山見っけ。が、その先に砂山、白山、飛山というナゾの山が

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中越。燕三条はなさそう。南魚沼や十日町はちゃんとありますね

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下越。沼足(沼垂?)が島になっている!五泉や新発田は海の中?

続いて『寛治図』を。

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この『寛治図』では佐渡が描かれています。こっちは地名表記が少ない?

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中越。川の名前が聴き覚えのなる名になっている?△マークは?

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下越。紫雲寺潟が閉じています

両タイプでちょっと違ってて、ちなみに康平図のほうが平安期に即した地名だそう。見覚えのある地名や知らない地名、浮島もあります。眺めてみると面白いです。みなさんの家は大丈夫ですか?

私の旧中之口村の生家はド海中でした。近隣の地名すら見当たらずまさに海の藻屑です。

康平図では信濃川が妻有川になってますが、寛治図では信ノ川。私の現在の住所は信ノ川と刈谷田川の狭間らへんですから、ぎりぎり生き残ってると思います。

平安時代はこんなにも海だったんですね…。

って実は全然ちがうらしいです。

地質や遺跡の分布からわかるように、 太古の越後平野は海でしたが、 平安時代はこんなに海じゃ全然なかったそう。(6000~8000年前の縄文時代早期にはすでに巻・白根あたりは陸地でした)

地図としては、現実の地形などとそぐわない所がありはするものの、近い所もある。と同時にフィクションである。

じゃあなんで?

こんな不思議なものを多くの人々が持っていたのでしょうか?ミステリーです。

伝説を描いたものか、迷信か。。。いろんな説が有る様です。

が、展示の説明によると最近の研究では、これは一種の戒めや、いまでいうハザードマップの役割をしていたんじゃないかと。

越後平野といえば信濃川と阿賀野川という日本一位と二〜三位の水量の大河が海を埋め立ててできた日本一の沖積平野で、とってもフラットで、低地です。

ということは逆に、すさまじい洪水に広域で見舞われる地域でもあり、多くが湿地帯でした。(水と土の芸術祭を巡った人なら作品を通して知ったとは思いますが)

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亀田役場の記憶 水と土の芸術祭市民プロジェクト(2012)

津波なのか、洪水なのか、昔の人は、「この地は必ずこうなる」とか、「どこまで浸水してもここならおおよそ助かる」とか、多少大げさであれこの地図をつくって戒め参照しあった、のかも。あるいは怯えていた?

ちなみに、明治29(1896)年の大洪水、通称『横田切れ』では越後平野のほぼ全域が浸水したという記録が残っています。

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横田切れによる浸水状況 (信濃川大河津資料館展示図録)/webサイト:越後文化物語-川がつくった新潟 より引用

洪水で水浸しとなるという意味では、越後古図もあながち嘘ともいいきれませんね。

※この洪水シミュレーションサイトではいかに越後平野が低地かよくわかります。 Flood maps: http://flood.firetree.net/?ll=36.3310, 137.6098&zoom=7&m=5

名古屋も危険。(ちなみに名古屋と大阪にも同様の古地図あり)

 

新潟県は災害の多い地域。そんな今年は4つの大災害の節目にあたります。新潟地震から50年、新潟焼山火山災害から40年、中越大震災から10年、そして同じく10年経とうとしている新潟福島豪雨・通称「7.13水害」。

「7.13水害」では三条と中之島は大きな被害を受けました。私の母校や友達の家も大分やられました。あれからもう一度の教訓で中越は強化されました。でも今後、逃げる事のできない水はそのぶん下越へ向かいます…。農業特区だいじょうかな…。

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防災・減災新潟プロジェクト2014(新潟県) http://www.hrr.mlit.go.jp/project/index.html

しかーし教訓を生かして、県や市町村では防災施設や情報公開サービスを構築し、また住民たちは地域地域で独自に取り組みを行い、それぞれ都道府県や国籍を越えた助け合いがなされているようです。

それでもふと突然自然に襲われるこのごろ。(チリで地震や津波もありました) この災害の節目の年に展示されたこの地図たちは、越後平野に住む現代人へ災害を、いや「なーの立ってる大地がどんな大地かを忘れんな」という戒めを与えてきているかもしれません。

気になったひとは図書館でぜひ古地図の見られる本を手に取ってみてください。

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おすすめ:池田雨工『越後古代史之研究』

特に、地質学的にも実在しない、佐渡に突き出たあの半島はなんでしょうね。まるで弥彦・角田が手を伸ばしてつかもうとするみたいに。金銀を求めて一攫千金を夢見る人々ののどから伸びる手?笑 そう、古地図をみるとき、こういうイマジネーションも楽しい。街のスポットやイベントだけがまち遊びじゃなくて、まちの見方や想像の仕方を変えても違った世界が広がってます。それをぜひ古地図から!

追伸:以下に行かれたかたのブログや記事を挙げさせて頂きます。いろいろ興味深いです。


雪野瑞谷ライター 雪野瑞谷(環境保全系技師)

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