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与板・寺泊の「戊辰戦争」を巡るマニアックツアー【越後長岡・まちめぐり】に参加してきた

与板・寺泊の「戊辰戦争」を巡るマニアックツアー【越後長岡・まちめぐり】に参加してきた

唐澤頼充この記事のライター 唐澤頼充(ライター/リサーチャー)

 

長岡市で開催された「越後長岡・まちめぐり」。平成の大合併で広域合併した地域をよく知ろうと企画されたツアー企画です。合併地域のうち2箇所を何かしらの共通点で結び、思わぬ地域同士のつながりをみつけようというのが大きな特徴です。それぞれの地域の実行委員会メンバーの地域住民が「ここを観てほしい!」と選んだ場所を巡るので普通の観光ツアーではまわらないマニアックな場所を見ることが出来ます。

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10月13日に行われた「与板」と「寺泊」の2地域を巡るツアーに参加してきました。今回のテーマは「戊辰の歴史を紐解く旅」ということで戊辰戦争に関する地域めぐりです。この日のスケジュールは以下の通りで、午前中に与板地域を、午後からは寺泊地域を巡ります。

  • 集合:8:30
  • 【午前】与板地域「歴史民俗資料館見学・兼続お船ミュージアム」~「地域内散策」~「与板地域の戊辰戦争についてお話(山﨑忠彌さん)」
  • 【昼食】寺泊地域「センターおおこうづ」
  • 【午後】寺泊地域「プレゼンテーション」~「幕府軍陣屋跡」~「常禅寺」~「金ヶ崎激戦地跡散策」
  • 解散17:00

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旧幕府軍と明治新政府軍とが戦争をした戊辰戦争。新潟県内では北越戦争と呼ばれる長岡城を中心とした戦いがよく知られています。長岡藩は旧幕府軍として戦ったので、一見すると新潟県すべてが旧幕府側だったと思われていまが、実は与板藩は新政府側として戦った藩なのです!

①与板「歴史民俗資料館・兼続お船ミュージアム」

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与板と言えば大河ドラマ「天地人」の「直江兼続」が城主を務めた与板城を中心とした兼続の本拠地。最初にやってきたのは与板の歴史民俗資料館「兼続お船ミュージアム」です。ちなみに「お船」は、兼続の奥さんだった「お船(せん)」です。サザエさんの「フネ」さんではありませんので注意して下さい。

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直江兼続の像がありますが、この日は触れず

つい直江兼続関係の資料を見たくなってしまうのですが、今回のテーマは「戊辰戦争」です。兼続には目も触れず、与板での戊辰の歴史について学習します。

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与板藩には「与板別院日誌」「与板藩史」が残っており、これにより戊辰戦争における与板での戦いが詳細に記録され残っているのです。例えば「五月十九日西軍隊長三好軍太郎は槙下に進み、敵前上陸を策略し、与板藩士小川昌三郎は銃撃を受けながら、十数艘を槙下に運んだ」といった具合にいつどこで何をしたのかが詳細に記されているのです。

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兼続お船ミュージアムでは、それら日誌の事柄をジオラマを使って説明を受けます。どこに防衛ラインが築かれたのか、どんな戦闘があったのか。ちなみに、与板の金ヶ崎口で開戦した戦いでは新政府側の与板の兵力は255名、旧幕府軍の兵力は1, 240名。その後、新政府側の増援などあり、シッチャカメッチャカになっていきます。しかし、戊辰戦争という大きな戦争の中の、ごく一地域の小さな戦闘にも関わらず、こんなにも詳細に情報が残っていることに驚きです。

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今回は見向きもしませんでしたが戦国コーナーが充実!

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②与板「地域散策」

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ジオラマを見た後は、与板地域を散策します。まずは与板城跡を見上げながら「天地人通り」を歩きます。城跡には寄らず、戊辰戦争当時の家老「松下源左衛門」が住んでいたという場所など全国的には超マイナーなマニアックスポットの紹介を受けました。しかし、ボランティアガイドさんの知識量に脱帽でした。

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この日はあいにくの雨。傘をさしつつ最後の与板藩藩主「井伊直安」に由来する井伊神社を見上げてから井伊家城館跡(現ふれあい交流センター)へ。

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小雨ですが雨が降っているので雨宿りしながらガイドを受けました。

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与板の城下町には写真のような歴史的由来が書いた看板がいたるところに置いてありました。今回は見て回る時間はなかったのですが、まち歩きにも面白そうな地域です。

ふれあい交流センターからは一旦バスに乗って本与板地域に向かいました。道中バスが何度も曲がります。「なんだかカーブが多い、まっすぐに進めない町だなぁ」などと思っていたら、なんとこれが城下町の特徴だそう。「鍵型道路」や 「食い違い」、「丁字路」など、 城を攻めようという敵が大人数で列をなして進攻出来ないように町をつくっているのだとツアーのお客さんが教えてくれました。与板のまち中を車で走るときっと実感できると思います!

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そしてやってきたのが戊辰戦争における与板の主戦場でもある「本与板地域」。戦争では、家などの建物は障害物となり、敵が潜んでいたり進軍が遅れたりします。そのため全て焼き払ったのだそう。ここ本与板の集落は3軒ほどを残して全て家屋が焼かれてしまったと言われているのだそうです。

皆さん、ジオラマを思い浮かべながら当時の戦闘の様子に思いをはせます。

③与板「与板地域の戊辰戦争についてお話(山﨑忠彌さん)」

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続いて本与板の公民館で本与板城蹟史跡保存会の山﨑忠彌さんから与板地域の戊辰戦争のお話についてお聞きしました。

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山﨑さんはもちろん戊辰戦争の時には生まれていなかったわけですが、山﨑さんの両親や祖父母から当時の話をいろいろと聞いてきたそうです。

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そして、子どもの頃には戊辰戦争で使われていた鉄砲の玉が山などに落ちていたそうです。

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実際に持たせてもらうとズシリと重く、何だか戦争を少し身近に感じることができました。

④寺泊「センターおおこうづ」で昼食

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さて、毎度郷土の美味しいものが食べられるお楽しみの昼食の時間!今回は寺泊野積の割烹の宿「山長」さんのお料理です。

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ご、豪華!!寺泊らしく海の幸が満載で、さらにカニ汁付きです。ボリュームがすごかったです!

⑤寺泊「プレゼンテーション」

さあ、美味しいご飯でお腹いっぱいになった所で午後は寺泊地域の戊辰戦争について巡ります。

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昼食会場のセンターおおこうづで、そのままプレゼンテーションを受けます。

寺泊は幕末の頃は何と「桑名藩」の領でした。桑名藩?耳慣れないですね。実は桑名藩は現三重県。徳川家と親戚の松平氏が治めていた藩で、越後国をいくつか預かっていたのです。そんな訳で、寺泊は旧幕府軍側。

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寺泊沖海戦という越後方面で唯一の海戦があったり、与板藩との攻防戦が金ヶ崎(寺泊)、本与板(与板)で行われました。スライドに沿ったプレゼンテーションをまちめぐりツアーで受けられるなんて!すごい珍しいですよね。わかりやすかったです。

⑥寺泊「幕府軍陣屋跡」

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そして外へ!まずは旧幕府軍の陣屋があった場所へ。

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ここは幕府軍の陣屋が敷かれた土地というだけでなく、「遠藤軍平」という寺泊の偉人が学問を教える「西軽塾」という私塾を開いていた場所でもあります。江戸末期の1860年にこの地に「西軽塾」を開き常に100人程度が学んでおり、延べ2, 000人ほどがこの私塾で学んだそうです。この土地に東西南北の4つの建物をたてていたそうなので、その校舎を幕府軍が徴用する形でここに本陣を敷いたのでしょう。

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この日はあいにくの天気だったのですが、西軽塾は平野の奥に越後山脈を眺める絶景から別名「対嶽館(たいがくかん)」と呼ばれていました。この風景をみて先人たちも学んでいたと思うとぐっと来るものがあります。

⑦寺泊「常禅寺」

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続いてやってきたのが常禅寺。ここは戊辰戦争の際に、生首を引っさげた人たちが回向(えこう)を頼みにやってきたそうです。IMGP4794

また、桑名藩士の墓があるなど、戊辰とゆかりが残っています。

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⑧寺泊「金ヶ崎激戦地跡散策」

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最後にやってきたのは金ヶ崎地域。こちらか与板開戦の戦場。先ほど紹介した本与板とこの金ヶ崎がお互いの攻防戦が行われた戦地です。私たちはバスでやってきたのですが、ここを歩兵が闊歩していたのか、と思うと広すぎて途方もなく感じました。

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今は戦争の面影は残っていないけれど、かつて戦いがあったという事実に思いをはせました。

おわり

戊辰戦争を巡って与板、寺泊を巡ったバスツアー。普通に観光しに来たら絶対に行かない所をこれでもか!という程周りました。マニアック度はかなり高い!このまちめぐりツアーの中で一番マニアックだったという印象です。

しかし、郷土史を深堀りしていけばこういう町の楽しみ方が出来るんだなぁと改めて思いました。

越後長岡まちめぐりは、「越後長岡・まちめぐり実行委員会」さんが企画運営されています。参加したいという方や気になる方は越後長岡・まちめぐり実行委員会さんの情報をチェックしてみてください!


唐澤頼充この記事のライター 唐澤頼充(ライター/リサーチャー)

 

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