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川を川が横断!?橋の上を水が流れる西川新川立体交差

川を川が横断!?橋の上を水が流れる西川新川立体交差

この記事のライター あらきやすし(会社員)

新潟市西区、主要道路である西大通りに掛かる「梶尾大橋」のすぐ隣、並行する形で鉄橋が架かっています。

線路が通っているのでしょうか? ちょっと近づいてみます。

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線路じゃないようです。

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水です、水が流れてます!橋の上を水が流れています!

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ここは「新川」という川の上を「西川」という川を「立体交差」させている『西川水路橋』です。

数年前、全国各地の珍百景を紹介しる某人気番組(http://www.tv-asahi.co.jp/nanikore2007/contents_old/collection/0025/ )でも紹介されたことがあるので、ご存知な方も多いかもしれません。

立体交差が出来たのは、なんと200年近く前の江戸時代

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全国的にも珍しいこの川と川の立体交差。もちろん人工的に作られたものです。

しかし、この立体交差が実現したのは、なんと江戸時代。文政3年、西暦で言うと1820年の事です。今から約200年前、当時としては最大級・最先端の難しい工事でした。

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かつて西蒲原一帯は低地で、大潟周辺も度々水害に悩まされていました。そこで水路を掘って大潟の水を海に流そうと計画しました。

しかし、その経路には西川が通っていました。この西川は当時、水運や用水路として重要な役割を果たしていました。そのため、この西川の機能を損ねないようにしながら、新しい用水路を造らなければならなくなったのです。

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こちらは、その当時の工事の様子です。新潟市歴史博物館「みなとぴあ」で、当時の様子を再現したミニチュアが展示されています。

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元々流れていた西川を、いったん迂回させて下を堀り、「底桶(そこひ)」という木製の水路を設置します。その後、「底桶」の上に西川を通しなおして、立体交差をさせました。

こうして完成した水路が「新川」です。

この当時、西蒲原一帯は幕府の直轄地はじめ、村上藩や長岡藩など9藩の領地が混在していました。工事費は長岡藩が6割、村上藩が4割負担したそうです。

大正時代になると近代的な暗閘(あんこう)が完成し、西川が新川の上を渡るようになりました。煉瓦造りのアーチ型のものでした。

近代化されたのとほぼ同じころに大河津分水の完成も重なり、西蒲原一帯は豊かな田園地帯へと変貌していきました。

現在の鉄製の橋になったのは昭和30年。それ以来50年以上、この「西川水路橋」は現在でも流域の田畑に水を供給するなど、重要な役割を果たしています。

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見学者が多いのか、現地にもこの「立体交差」の歴史や役割を分かりやすく解説した案内板が設置されています。

現地で見るだけでも、不思議な光景で面白いのですが、実はこんなに歴史のある立体交差と知ってみると、また感慨深いものがあります。

みなさんも、お近くを通りが方ら、ぜひこの「立体交差」を見てきてください。

スポット情報

西川新川立体交差(西川水路橋)

新潟市歴史博物館 みなとぴあ


あらきやすしライター あらきやすし(会社員)

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