食と文化の発信基地へ。イタリア軒「マルコポーロ」がリニューアル

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新潟市中央区「イタリア軒」は、創業140周年以上もの長い歴史をもつ、新潟を代表するホテルのひとつです。

ルーツをたどると、もとは洋食屋だったイタリア軒。

今回、洋食屋時代の歴史を受け継ぐレストラン「マルコポーロ」が2018年6月にリニューアルするということで、メディア向けの発表会が開催されました。

新潟の歴史と文化、食材が融合した「食と文化の発信基地」に生まれ変わるとのこと。

「洋食三軒(日本三大洋食屋)に数えられた」「ミートソースの元祖はイタリア軒だった?」

…などなど。いろいろとワクワクするお話も飛び出しました。

テーマは「原点回帰」と「地産地消」

ホテルイタリア軒

2018年6月からイタリア軒1階にあるレストラン「リストランテ マルコポーロ」のメニューが大幅リニューアルします。テーマは「食と文化の発信基地」。

新潟県内各地の食材をふんだんに使った「地産地消」と、新潟屈指の伝統を誇る洋食に「原点回帰」し、それらを融合させ、食と文化を発信していこうという内容です。

試食会も開催され、いくつかのメニューを実際に食べさせていただきました。

こちらが今回の試食会で提供された新メニューです。

左から
「純白のビアンカのポークカツレツ 自家製ウスターソース」
「あがの姫牛の伝統のハヤシライス」
「あがの姫牛のビーフシチュー 温野菜添え」
「あがの産ビーツを使ったボルシチ」

その土地でとれたものを、その土地で楽しむ「地産地消」が今回のリニューアルのひとつのテーマとあって、新潟県阿賀野市の食材を使ったメニューが並びます。

いずれも大変な美味でしたが、個人的なベストをあげるとすれば、中央の「伝統のハヤシライス」です。

煮込まれているお肉は阿賀野市の「あがの姫牛」。飼育環境や餌などに徹底的にこだわって飼育された新しいブランド牛肉です。

赤ワインで仕込まれた「これぞ洋食」というハヤシライスソースの芳醇な味わいに、とろけるかのような牛肉の柔らかさがマッチしていて、まさに伝統と革新の融合を見た思いでした。

「ヤスダヨーグルト」を使用したスイーツもあり、「阿賀野づくし」の内容

 

さて、今回は「メニューのリニューアル」ということですが、「カツレツ」「ハヤシライス」「ビーフシチュー」というのは、「洋食の定番」と言えるメニューばかりですね。

今回のリニューアルのもうひとつのテーマは「原点回帰」。
洋食屋として出発した当時のメニューを復活させることを目指しているそうです。

初代イタリア軒(当時の名称は「イタリヤ軒」)。2階建ての洋館だった

 

こちらが初代のイタリア軒。オープンは、なんと1874(明治7)年のこと。
新潟港の開港が1869年のことなので、まさに開港直後の時期です。

明治時代のスタートともに、いよいよ新潟が世界へと開かれはじめたこの時期。
開港によって活気付く新潟の町には、世界各国から様々な人が訪れました。

フランスから来た曲馬団(サーカス団の一種)が訪れました。この中に、イタリア軒誕生の大きなきっかけとなった人物がいました。

イタリア人創業者によりスタート

イタリア軒創業者ピエトロ・ミリオーレ氏。新潟市民からは親しみを込めて「ミオラさん」と呼ばれた

創業者はイタリア出身のピエトロ・ミリオーレ氏。
前述のフランス曲馬団にコックとして随行していたのですが、足を負傷してしまったために、新潟に取り残されてしまったのです。

そのことを聞きつけた当時の新潟県令(現在の県知事)楠本正隆が多額の資金を援助し、西洋食品店として開業。のちに洋食屋「イタリア軒」となります。

ときは「文明開化」の時代。西洋文化を積極的に取り入れ、近代化を推し進めようという動きが日本各地でみられました。

楠本県令は、就任当時はまだ30代という、大変若いリーダーでした。ミリオーレ氏も同じ30代だったので、同年代同士、相通ずるものがあったのかもしれません。

ミートソースの元祖!?「伝統のボロニア風ミートソーススパゲッティ」

 

さて、めでたく新潟の地に洋食屋をオープンさせたミリオーレ氏。
食材が全く異なる西洋料理を日本で作り出すのは大変だったはずですが、試行錯誤を重ねながらメニューを考案していったそうです。

イタリア軒に創業当初から変わらず存在し続けるメニューがあります。写真の「伝統のボロニア風ミートソーススパゲッティ」です。ミリオーレ氏が「ボロネーゼ」を日本で手に入る食材で作ったことから誕生しました。これが日本における「ミートソーススパゲッティ」の元祖とも言われているのです。

古くから新潟の地で「地産地消」による洋食づくりを続けてきたのだなあと、新潟の人間として、日本人として、感慨深いお話でした。

鉄筋コンクリートと煉瓦造の2代目イタリア軒

 

イタリア軒の洋食は評判を呼び、東京上野の精養軒、函館五島軒とともに「洋食三軒」と呼ばれ、日本屈指の洋食屋として知られるようになっていきました。

明治大正期の洋食は、食材やシェフが貴重だったこともあり、大変高価でした。洋食屋に行くことができるのは、限られた人々だけだったといわれています。

その中でもイタリア軒は、庶民の手に届くようになったのが比較的早かったといいます。

そうした中でも「新潟は、洋食文化に触れる機会が全国的に見ても早かった」というお話も、今回の発表会で紹介されていました。

昭和初期の「イタリア軒」メニュー表

大正時代には「ビーフカレー」がイタリア軒伝統の味として定着しはじめます。このビーフカレーは現在でも人気メニューのひとつとなっています。

イタリア軒以外でも、県内各地のイベントや、レトルトカレーとしても販売されており、認知度も高いのではないでしょうか。

新潟県は一人当たりのカレーの消費量が全国トップということで「カレーの県」などと言われるほどカレーを愛する方の多い県です。その背景には、イタリア軒の存在があったことは無視できません。

3代目イタリア軒

大正から昭和初期にかけては、オムレツやカツレツなども次々誕生します。日本において「洋食」が次々に誕生し、定着し始めていきます。それらの多くは、外国人や洋行帰りの日本人の「あの味が食べたい」という熱い思いから。

ふと思い出しましたが、日本における洋食の誕生には、いくつもの面白い逸話があります。

たとえば「肉じゃが」。

明治時代、東郷平八郎連合艦隊司令長官がイギリス留学時代に食べたビーフシチューの味が忘れられず、海軍の料理人に作らせたところ苦心の末「肉じゃが」が誕生した、という伝説があります。※諸説あります

また、ハヤシライスもビーフシチューの派生料理のひとつともいわれます。

「たまたま」が今に残る日本の洋食を築いてきたというのは面白いところです。

たまたま新潟に取り残されてしまったミリオーレ氏が、開化政策に熱心だった楠本県令に出会い、たまたま新潟の食材でメニューを作り上げた。

イタリア軒の洋食メニューは、長い歴史の中でバトンタッチをされながら受け継がれてきたのです。

洋食屋として、日本屈指の長い歴史をもつイタリア軒。今回の試食会は、イタリア軒が持つ長い歴史と伝統の価値をあらためて感じさせてくれるものでした。

今回のリニューアルは、伝統のメニューに新潟が誇る最新食材がミックスされた、原点回帰でもあり温故知新でもあるのです。

美味しさは言うに及ばず、料理ができる過程には、歴史や偶然があった…。そう考えると、より深みが出て、美味しくいただけたようにも感じます。

ぜひこの機会にイタリア軒を訪れ、食とともに、新潟の文化にも思いを馳せながら、いただいてみてはいかがでしょうか。

なお、今後は佐渡市や村上市など県内各地の産地とコラボレーションをしていく予定なのだとか。非常に楽しみです。

(注)本記事でご紹介しているメニューは2018年6月〜8月末までの提供となります。

最新情報は下記リンクをご参照ください→http://www.italiaken.com/


 

 

 

この記事のライター 竹谷純平(フリーライター)

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※本記事の内容は取材・投稿時点のものであり、情報の正確性を保証するものではございません。最新情報につきましては直接取材先へご確認ください。