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【インタビュー】成宮アイコさん「カウンター達の朗読会in北書店」によせて|Niigata Interview Magazine LIFE-mag.

【インタビュー】成宮アイコさん「カウンター達の朗読会in北書店」によせて|Niigata Interview Magazine LIFE-mag.

1453329_531061593642639_1950544675_n記事提供『Niigata Interview Magazine LIFE-mag.

 

八月の終わりに一通のメールをもらった。イベントの案内と取材依頼だった。

「様々な生きづらさを抱える人が、一瞬でも死なずに共感できる夜です。」とある。イベントは「カウンター達の朗読会」と題し、自作の詩と音楽、ライブペインティングによるパフォーマンスを行うとのことだった。

送信者は成宮アイコさん、強迫神経症と社会不安障害になり不登校を経験、また虐待やリストカットを経験しているという。いまだ自身を悩まし続けるその経験を詩にまとめ、吐き出すように朗読するパフォーマンスを行っている。

人の目を見てしゃべることすらままならなかった状態から、ライブを重ね次第に、いじめや家庭内暴力、鬱病やひきこもりなど様々な〝生きづらさ〟を抱える人たちがそのパフォーマンスに共感しながら集まってきた。

新潟で開催されていた「こわれ者の祭典」の月乃光司さんとの出会いから、成宮さんもライブに参加するようになった。「こわれ者の祭典」の東京開催でのライブを通じて、共感をよせる仲間に出会い、三人ではじめたのが今回、新潟で初開催となる「カウンター達の朗読会」である。

ライブは一〇月三一日、編集室からもほど近い「北書店」ということだった。そのライブに先駆け、成宮さんのこれまでのこと、今回のライブにかける思いを伺った。

成宮さんは昨年一〇月末から東京のライブハウス/イベントスペース「ロフト」で企画の仕事をしながら活動を続けている。帰省にあわせて九月一九日午前一〇時、シャモニー古町店でインタビューさせていただいた。

Special Interview
成宮アイコ[こわれ者の祭典]
「カウンター達の朗読会in北書店」によせて

――学生時代、不登校を経験されたとのことですが、どんな学生だったのでしょうか

友達はまったくいませんでしたね。

――たぶん同じくらいの年だと思うんですが。僕は八三年の一月生まれです

あぁ、同じ学年です。私は市内H高校でした。

――それだと地元から数人いってると思います。名前はなんだったっけな…

いや、言ってもわからないと思います、お互い(笑)。
私は卒業できるまでの残りの日数を部屋の壁に貼って、学校が終わるたびにめくっていました。卒業式になってもそうで、式が終わった後に友達同士で卒業パーティに行こうとかなるじゃないですか。でも私ひとりも友達いなかったので、卒業証書を持ってイトーヨーカドーにいきました。

――なにかあったんですか

そこの紳士服売場のトイレの前に自動販売機があって、その脇に白いプラスチックの椅子があるんですけど、そこだと同世代の人にぜんぜん会わないんです。在学中からよく行ってたんですけど、そこにいって卒業証書を広げて「あぁ、やっと卒業できたんだぁ」って思ったのが高校時代の一番の思い出です。
いまライブでそういうことを言うと「それわかるー」とか言ってもらえて、いままでわかりあえる人なんていなかったのに、自分では恥ずかしいことだと思うようなことを言っても、わかってもらえるんだって、毎回驚いています。めっちゃマジョリティじゃんって(笑)。

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紳士服売場脇のベンチ(現在)

――高校は無事(?)に卒業したんですね

出席日数はギリギリを狙ってたので、休みがちでしたが。
友達…、いた時期もあったんですけど、やっぱり続かなくて。頑張っても疲れるから、だんだんもういいやってなっていきました。
その分、好きなことをもっと好きになろうって、いろんな本読んだり、いろんな人のインタビュー記事を読んだり。その時、マイナスだからやっていたことが、いまの仕事だったり、イベントに来てくれた人との共通点になったりしてます。だからあの時に無理しなくてよかったなってのは思ってます。

――どんなのが好きだったんですか

私、学生時代から『ガロ』や蛭子能収さんの漫画が好きだったんです。でも、こういうの読んでいるから友達ができないんだって、その時、一回持っていた漫画を全部捨てたこともありました。それでも変われるわけじゃなかったんですが…。
いまプレミアがついちゃってるんですけど蛭子さんの漫画をちょっとずつ買い戻してます(笑)。
高校入りたての頃は、ギャルになろうと思ったり、バンギャになろうと思ったりもしました。

――バンギャ…

ビジュアル系バンド好きなギャルです(笑)。CDを無理矢理買って聴いてみたり。

――僕は友達がいなかったってわけじゃないですが、特定のグループで仲良く行動するのができなかった。いまもかな

男子もあるんですか? グループって。

――バンド系、オタク系、体育会系、マジメ系とかでしょうか

私はどこに行ってもうまくはまらなくて。嫌われることをわざとするわけじゃないけど、同世代の人と無理に話してもやりたいことする時間が削られるし、好かれなくてもいいや、なんでもいいやって思ってました。
でも、卒業祝いとか羨ましかったです。すっごく。

――詩を書くようになったのはいつからでしょうか

その頃から詩を書いて個展をやるようになりました。高校の有り余る時間がものをつくるのにはちょうど良かったんですね。昔、プラーカに「P.PROJECTS」という小さなシアターがあって、ナシモトタオさんがやっていたんですが、そこに出入りしていたんです。

――僕も高校は帰宅部だったのですぐ家に帰ってましたねぇ

友達がいないお陰で時間だけはあったので(笑)。
そこの展示スペースを貸してもらって個展をやるようになりました。アンケート用紙に感想を書いてもらうんですけど、「私も学校に行ってないんです」という人がたくさんいて。
もともと自分もそういう人はいるだろうって思ってたので、「やっぱりいたか、だろぅ?」と思いましたね(笑)。

――学校以外の場所にかすかな希望はあったわけですね

自分が好きな本が出版されているってことは、需要があるから出版されているわけですよね。自分と同じ趣味の人がきっとどこかにいるはずだと思っていました。
そこでやっていた個展に、ある時、「こわれ者の祭典」の月乃光司さんが見にきてくれたんですね。

――おぉ! 偶然にもいろんな人が見にきてくれるんですね

月乃さんとはその個展の前に会っていて、当時、古町に「アナザーチケット」というライブハウスがあって、たしかNAMARAの江口歩さんに「金曜ロードクショー」というイベントがあるから来てみればって誘ってもらったんです。
そこに月乃さんが出てて、経歴を見るとアル中とかひきこもりって書いてあって「なんか変な人がいるなぁ」って思って。いまとなっては他の人はぜんぜん覚えてないんですけど、月乃さんがパジャマで「アル中になってよかったー!」って詩を絶叫してたんです。

――アル中や病気になったことがよかったことだと

それまで回りの大人からは「そんなことしててもなんにもなんない」とか「立派になるには」とか。本屋に行っても自己啓発本みたいなのがすごく売れてて。自己啓発本を書いている人と自分との共通点なんて一個も無いし、共感する部分なんもないし、そういうカッコいい大人、正しい大人ばかりだったんです。
でも、月乃さんはほんとにかっこ悪くてダサイ!って感動したんですね。

――ダサさに感動(笑)。本質かもしれませんね

それでアンケート用紙に「感動しました、ぜひサイトを見て下さい」って書きました。その後、私のサイトを見て個展に来てくれたんですね。

――アンケート用紙をちゃんと見て、実際に来てくれたわけですね

その頃、私は病気真っ盛りで、手が震えてたんです。なのでヨレヨレの字でした。その時は人の目をみてしゃべれなかったので。いまでも月乃さんに言われるんですが、この女の子には後で刺されるなって思ったらしいですよ(笑)。
歌手の戸川純さんが自殺未遂をしたときに書き残した言葉を、私は個展会場の壁に書いてたんですよ。「皆憎」って。月乃さんも戸川さんのファンで、その話で盛り上がりましたね。

――「こわれ者の祭典」に関わるようになったのでしょうか

「こわれ者の祭典」に入ったのは高校卒業して、専門学校に入ってからですね。一九歳の時だったかな。

――高校時代、鬱病だったのでしょうか

ええ、なんだったんだろう。お腹が痛くなって、教室や人が大勢いる場所に行けなくて。今日こそ行くぞってなっても、やっぱり帰るとか。病院にも通ってて、ずっと薬飲んでても治らないし、胃カメラ飲んでも原因はわからずでした。
「こわれ者の祭典」のイベントではまだステージに立てなかったので、机の真ん中にぬいぐるみを置いて、私は舞台の袖で朗読するだけでした。
「こわれ者の祭典」メンバーで定時制高校に行ったときがあったんです。その時もまだぜんぜんダメだったので、先生に言って「こっちを見られてるとできないから、机に伏せてくれないか」って(笑)。それで自分の朗読をやったんです。

――高校生の反応はどうでしたか

ライブする度にいろんな人が自分の症状を話してくれたんですよね。「私もそうでした」とか「橋を渡ると割れる気がして渡れないんです」とか、私よりひどくない? って言ったり。
全然違う症状の人や似たような人、話しても笑ってもらえたり「わかるー」って言ってもらえたり、そういう小さい経験が積み重なっていくうちに、少しずつ私も話せるようになっていきました。

共感する二人との出会い

――今回のライブの共演者二人との出会いは

東京で「こわれ者の祭典」のライブをやったとき観にきてくれていたんですよね。葛原りょうは、切腹自殺を図ったことがあって警察に取り押さえられたことがあります。Tokinは解離性障害と双極性障害で、仕事中に倒れて閉鎖病棟に入院したことがあります。
SNSでも知り合いになってて、それぞれ作品をつくっていることもあって、少しずつ交流が生まれました。それで話していくといろいろと共感することがあって。
たとえば「24時間テレビ」が嫌いとか。障害者が頑張れば褒められて成功する感じで映すじゃないですか。でも障害あるなしに関わらずそもそも健常者も頑張ってるし、精神疾患のある障害者側の私は頑張らないことも多いし、みんな何かしら頑張ったり頑張らなかったりしてて、成功だけじゃなく当たり前に挫折も多いし。世間のキラキラ障害者みたいなイメージをつくっている気がして。
私は早く「こわれ者の祭典」が取材されたらいいのにって思ってますよ。これだけ長く活動して、本やDVDも出してるんだし。こわれ者の人たちが挫折するところを撮ってもらいたい。でもオファーが来る様子はまったくないです(笑)。

――三人でのライブはいつから

二〇〇九年からです。途中二年くらい空いた時期があって、それは三人が順番に具合悪くなっていたからなんです。もう開催は無理だなって思うような時期もあったんですが。
共感してくれるお客さんもいるし、なにより自分たちの目標のためにも続けなきゃ、そのうち誰かが生き倒れるって思って。次のイベントが予定されていれば、その時までは生きられるんじゃないかって。

――ライブまでの練習や準備にやることもあるし

ライブはポップさを重要視しています。シリアスなことをシリアスに言って泣けるのって簡単、だけど何も残らない。それよりも嫌なことを笑えた時の方が記憶に残るじゃないですか。
お客さんも「わかるー」とかって笑ってくれるのがいいですね。人間賛歌が一番の思いです。でもやっぱり、自分たちのためってのもおっきいです、ほんと。

――メールの投稿を読むこともやってるんですよね

「あなたの叫びをこの空間に泳がせます」といって、メールで受け付けたメッセージを私たちがライブで絶叫朗読しています。これは私の中ですごく大きなものです。
ライブに来たくても毎回参加できない人もいます。靴を履いて、電車に乗って、街を歩き、お金を払って来てくれる。これって超スペクタクルな冒険なんですよね。

――〝生きづらさ〟を抱える人にとってはかなりキツいですね

働いてない人もどうにかお金を作ってきたり、来たとしても混んでいる中に二〜三時間もいるなんて。それでメールでも参加できるというのは大きいです。
ライブで知り合ったお客さんの中にも自殺して亡くなったりとか多いですからね。
「最近、バイトをはじめたんです」って紅茶の缶を買ってきてくれた人がいました。その後、私の誕生日に近い日にライブの予定があって、「次のライブに行く時、プレゼントあるから〜」ってメッセージがきました。で、ちょうどその人のmixiで日記に「下北沢に行きました」って書いてあったんですね。私は銀杏ボーイズが大好きで、ちょうど下北沢限定のCDが発売されたときだったんですね。きっとCDだろうな〜って思ってたら、その日記を書いた数日後に自殺されたそうなんです…。

――ライブで知り合った成宮さんとの交流は、その人にとっては働く喜び、生きる喜びを与えてくれるものだったんでしょうね

それでも人は死ぬのかって思ってショックでした。一人でもそれが減ればいいなぁっていうのと、自分のためにもライブを続けています。
また誰かが具合悪くなるかもしれませんが、三人いれば誰かが元気なときってあるから、三本の矢なら大丈夫かなって思ってます。
でも、次回のライブ準備もラインで三人のグループを作ってるんですけど、だいたい誰か一人は既読になっても返信がない(笑)。

――最近も体調に波があるんですね。ギリギリの状態

具合が悪くなっても、ローテーションだから気にするなって言い合ってますよ。
自分が具合悪くて頼ると、頼られた人って次に困ったときに頼ってくれるんですよね。それが嬉しくて。最近は自分から頼ろうってずかずかいってますよ。

――いやぁ、「頼る」ってすごく難しいですよね

前にツイッターで「あなたがバトンを落としたら拾ってあげるから、私がバトンを落としたら全部拾ってください」ってツイートしたらたくさんの人がお気に入りに登録してくれて。なんだみんな頼りたいって思ってるんじゃんって、だったらわたしが先に頼るよって。

〈なりたい幸せ像〉と〈感じる幸せ像〉の不一致

――東京に出たきっかけは

東京に行くちょっと前が最高に状態が悪くて、家でもずっと床状態になってて。

――床状態って…

床にずっと寝てるというか。引っ越してから母親に言われたんですが、「あの時、会話しても無表情だし、どうしようかと思った」って。
新潟にいる時は、イオンに行く人が超羨ましかった、クロックスを履く人が羨ましかった。早く結婚して地元大好きマイルドヤンキーみたいになりたいと思っていた。でも、ぜんぜんそれをしたいと思えなくて。
ほんとにどうしたらいいんだろう。自分が〈なりたい幸せ像〉と自分が〈感じる幸せ像〉がぜんぜん一致しなくて。自分が感じる幸せが、この穏やかな日常に一ミリもなくて、その差を今後どうやって埋めていけばいいんだろうって思ってました。
その時、たまたま「こわれ者の祭典」が東京の「ロフトプラスワン」であって行って、もうダメっ、もう帰りたくないってなってたら、担当の人が「ちょうどいま一人たりないからうちで働けばいいじゃん」って言ってくれたんです。
もう誰にも言わずに「自分が感じる幸せはここにしかない」って思って決めたんです。

――ロフトは、音楽、芸術、映画、政治、アイドル、エロにあらゆる人が来る場所ですもんね

ここに来る変な人たちというか(笑)、人の本音の剥き出しの中にいるときが一番幸せを感じるんですね。
〈なりたい幸せ像〉はイオンに行くことだったんですけど、ほんとにその穏やかさは諦めないとって思って、新潟の生活を断ち切って引っ越しました。ほっこり系とか、癒し系とか、「ていねいな暮らし」系とか自分はいい加減そういうのにはなれないんだから。

――家庭菜園でハーブを育ててパスタに入れるとか?

はい、はい(笑)。趣味は山登りとか、いい加減諦めないかんぞってね。ロフトに声をかけてもらって、東京に出るということしか、生きる方法が見出せなかったんです。〈なりたい幸せ象〉と〈感じる幸せ象〉の相違が一番のきっかけだったかも。
それから、新潟の雑誌って、新店舗オープン!みたいな情報ばかりで、ぜんぜん興味を持てないじゃないですか。それを読んでも、自分がどこにいけばいいかわからなくなり、希望がなくなり…。何を目標にしてけばいいんだろうっていうときに、たまたま引っ越すきっかけをいただいたんです。

――僕もニヒリズムに陥りそうなときは日々あるなぁ

でも、『LIFE-mag.』は新潟ではカウンターじゃないんですか。

――僕なりに世間との不一致、居心地の悪さを感じているからこそこんなことやってますからね。それを感じなければこんなことをやってないわけで

そうですよね。じゃなきゃ、一人でこんな大変なことやりませんよね。
私も望んでやりたいかっていったら、できればやりたくないって思ってるし。イベントやるのってすごく準備が大変だし、ギャラがバックされるかどうかもわからないし、人を集めるのも大変。チケット売れるのかって、新しい詩を書かないといけないかなとか。
やらなくてすむならやらないですむ人生がよかったけど、それが自分の感じる幸せだからやるしかない。

――どうこの詩、この雑誌、素敵でしょ? どや! じゃないですよね

はい。

――僕も、カッコイイね、クリエイティブだねと言われることもあるけど、批判や冷笑もされます。でも、いまはこれが仕事でもあり、自分の生き方になっているから苦しいことも含めてやっている感じかな。

機能不全家庭で育って

――話が戻りますが、高校を出てからはどうしたんですか

ウェブ制作を学ぶ専門学校に行きました。その後、ウェブ制作の会社に。大好きだったんですけど、あまりに忙しすぎる会社で、体調を崩して辞めました。それで別のウェブ制作会社に行ってましたが、すごく無理矢理通っていました。

――病院には

行ったり、行かなかったりですが、病院にはずっと通っていました。いまは睡眠のプレッシャーだけあって、それだけ飲んでます。葛原とTokinの二人は行ってるので、私だけマイノリティって言われてます。

――え〜っと、病院に通っていない人が少数派?

ライブ会場では、病院通ってなくて元気な人に対して「マイノリティだねー」って笑ってます。そういうの笑って軽々しく言えるのがいいなって思います。

――チラシのプロフィールに機能不全家庭で育つってありますが

祖父から虐待を受けていました。

――ひどい虐待だったんでしょうか

そうですねぇ…。
小さい時に安全、安心を感じられないままもの心がついてしまうと、それに引きづられるんですよね。どんな立場でいればいいのかずっとわからなくて。
来るお客さんたちもけっこうそうで、距離感がへんな人って多いですよ。すごい遠いとか、すごい近いとか、話しながら自分みたいだなって思って。いまはそれがすごく面白いです。

――家で虐待となるとひきこもるわけにもいかないですね

そうですね。それでイトーヨーカドーへ。
いまでも新潟に帰ってきても、どこにいけばいいんだろうって思ったりします。新潟への愛憎はすごくあって、出たいとか、居たいとか。その差を埋めるためにも、新潟でのライブはやらなくちゃって。
地方に行けば行くほど、メンタルヘルスのことや、生きづらさを抱えていても、誰にも言えない人はたくさんいると思います。新潟は自殺率が高いんですが、そういった対策を行政・福祉関係者だけでやっているからつまらないとも思います。
人はどんどん死ぬんですよね。私たちのライブがみんなを救えるわけじゃないですけど、一瞬でも死なずに共感してもらえるものになればと思います。
ライブはポップに明るくやりますよー。

(完)

[イベント詳細]http://counter.hotcom-web.com/wp/

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