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なぜ”しもまち”?“魚屋”?素朴な疑問を深堀り。下本町商店街の歴史を調べてみた

なぜ”しもまち”?“魚屋”?素朴な疑問を深堀り。下本町商店街の歴史を調べてみた

takeyaprof_bustupこの記事のライター 竹谷純平(ライター/Webライター)

 

新潟市中央区、通称「下町(しもまち)」エリア。港や日本海に近く、新潟市の中でも古くからの歴史を有している一帯です。

いきなりで恐縮なのですが、私が足繁く通っている「下本町商店街」という素敵なスポットがあります。まずは写真をご覧いただきたいのですが、

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ご覧のように、小路のひとつひとつに名前が冠されていたり、とても古い蔵が平然と街並みと共存していたりと、歩くたびに発見がある面白いエリアです。そして、人情味のある地元の方々の魅力に、すっかり”やられて”しまいました。

ただ、私は新潟生まれと言えども、まったく市内の歴史を知りません。本当に。恥ずかしながら…。

この辺りを歩いていて、「なぜ”しも”まち』なのか」という素朴な疑問が生じましたので、簡単ですが調べてみました。

「しもまち」という呼び方。当時の行政区分と信濃川の流れが影響?

にいがたレポは「まち歩きWebマガジン」ということですので、ただ単に歴史を調べて羅列したのではつまらないと思いました。まずはまちを歩き、そこを切り口として歴史を見ていくという手法を取ります。そして「主観ベース」でいきます。かの小林秀雄も「歴史は主観」的なことを仰っていますし。

地元の商店の方や、お住いのお年寄りに歴史について聞いてみましたが「わかんねえなあ…」「江戸時代だったっけかな。わかんねなあー。江戸時代から生きてねえすけ勘弁!」とのお答えが。(そりゃそうですね…)

あっけなく諦め、大人しく図書館に行き、司書さんに相談。そうしたところ、ありました。いくつか本をご紹介頂きました。

「にいがた下町の歴史と住吉祭り〜一番組の軌跡〜」という本によると、

新潟の”下町(しも)”と”上町(かみ)”の呼び方は、江戸時代の中期頃にはあったようだ。(中略)新潟奉行所は、征谷小路(現・新潟三越とNEXT21)の辺りにあり、征谷小路を境として北部を”下町”と呼び、白山神社の方を”上町”といった。(「にいがた下町の歴史と住吉祭り〜一番組の軌跡〜」)

ということで、江戸時代からは呼び方が定着していたようすです。しかし、まだ分からない…。

たまたま地元の方と話したところ、「白山様(白山神社)の方は、信濃川の流れでいうと川上(かわかみ)にあたるし、こっち(下本町)のほうは川下(かわしも)にあたるろ?その関係もあるんでねーか?分からんけど。」との面白い話を聞くことができました。読み進めると、そのような記述、ありましたありました!

東京は土地の高低から下(した)町と、山の手と呼ぶが、新潟は川下(かわしも)を下町といい、川上を上町と呼んでいた。大河・母なる信濃川の流れから、その川上(かみ)川下(しも)といったと思う。(「にいがた下町の歴史と住吉祭り〜一番組の軌跡〜」)

やはり。

ご存知のように新潟は、縦横に張り巡らされた堀の存在など、水運が発展していた都市でした。だからこそ、いろいろな恵みをもたらしてくれる「川」をベースにする考え方から「しもまち」と呼ばれるようになったのかもしれません。

全国に存在する「下町」。「しもまち」でも「したまち」でも、気質は一緒!?

はやくも「しもまち呼称問題」が解決してしまいました(笑)。これだけでは、あまりにつまらないですね。いい機会なので、他に気になることも調べてみます。

この参考文献、なかなか興味深かったので読み進めていきますと、「住民の気質」への言及が。

下町の人は働きもん、根性よし(のめしこき・うそつき・理屈こきを嫌う)の性質が強い。(同p20)

これがまた、とても合っていました!というのも、地元のおじいさんおばあさんにお話を伺いながら歩いていると、「歴史の本を読みながら歩いてるだあ!?おめさんたちの世代は理屈こねくりまわして、上辺ばっかの付き合いしてんだろ?俺らはそんなんじゃねーぞ!人間付き合いだけでやってっから!」と、話しだして間もないのに攻撃されるという強烈な体験を何度かしましたので(笑)。

ただ、そうは言っても勿論悪気はなく、「おめさんがたにはおめさんがたの生き方がある。うまく渡り歩いていけよ!」と男前な激励(?)を頂きましたけれども。なんでしょうこのツンデレ振り。下町の江戸っ子にも通じるものがあります。

言葉は、下町独特である。粗野であるが、親しみと、情がこもっている。(同p24)

まさに、このとおりでした(笑)。

フレッシュ本町のあたりは「魚屋」がひしめくエリアだった

そして、歩いていてとても気になったのが「魚屋さんがとても多い」こと。ひとつの商店街で5店舗以上あるのは珍しいのではないかと思いました。

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また、取材で本町12番の見崎屋鮮魚店さんを訪れた際、「江戸時代、天保期からやってるよ」と仰っていたのが気になりました。学生時代、日本史が好きだった私。記憶の中に「たしか、江戸時代の頃は、商売をやるにしても許可や居住地域が決められていたはず」という記憶がよみがえり調べたところ、

町に暮らす人々は、誰でも商売を始められる訳ではなかった。廻船問屋や質屋など多くの商売は営業できる件数が決まっていたし、定められた町内でしか営業できない商売もあった。そのため、町によって雰囲気が違った。(「新潟歴史双書8 新潟の地名と歴史」p31、32)

やはり。そして、

本町通十四軒町(現十一番町)の西側は、助買町とか肴町と呼ばれた。魚屋のことを助買といい、魚の卸売りができるのはこの町だけであった。(同p.32)

なるほど。合点がいきます。どうりで魚屋さんが多いわけだ。やはり、そういった昔の町割りの雰囲気というものをある程度踏襲しているのかなと思います。江戸や大阪などでも、「魚屋」エリアだったところの町人の気質は似通っていると聞いたことがあります。大昔は、町によって個性があったのです。いまでは想像すら難しいですねえ。

そして、

本町市場には、上の市場(本町5、6番町)、と下の市場(本町11、12番町)とがあり、下の市場の方が賑やかであった。下の市場は上の市場より値切る人が多く、奈良漬けなども酒粕を落としてから計らせたという。(「写真集 新潟市パノラマ館」p15)

このような記述もあります。歩いていても、町のそこここで、まさにこういう光景に出くわしました。脈々と受け継がれてきている感じがします。

エポックメイキングな出来事が相次いだ開国期以降

本を読んだり、歩いてみたりするうちに、「もっと知りたい」という欲求が湧いてきました。まち歩きは楽しい…!

下町を歩いていて個人的に気になったのが、「小路が突然終わる」箇所があったこと。基本的には整然としている印象を受けるのですが、もしかすると大規模な区画整備などがあったのか?と疑問が。

調べていくと、どうやら江戸時代末期から明治時代にはエポックメイキングな出来事が重なったようです。明治5年には時の県令・楠木正隆の努力により、大規模な区画整理、道路拡張、衛生的な街並みつくりが実現したそうです。江戸時代から比較的整然としていた新潟の街並みですが、開港5港に指定されたことから、より整備を行う必要性に迫られた模様。一気に発展したと見えます。

明治時代に日本各地を旅行したイザベラ・バードという女性がいます。彼女は、当時西欧諸国にとっては「未開の地」同然であった日本を単独踏破する(※通訳は同伴)という偉業を成した「旅行の女傑」といってもいい方で、旅好きな私はとても尊敬しています。そんな彼女は、新潟を「清潔な町」「ハンサムな町」などと激賞しています。(※ちなみに他の地域については「野蛮」「とくに見るものがない」「話し方が下品」などと言ってクソミソにけなしていたりします…笑)

新潟の官庁街は西洋志向の進歩のきざしを見せ、…(中略)純日本式街区は見たこともないほどきちんとしていて清潔で、とても居心地のよさそうな町で、外国人居住区のように目立つことを競い合うところがここにはまったくありません。(「イザベラ・バードの日本紀行」p269)

…どんな藁くずも紙くずも落ちたとたんに拾われ、ごみはふたつきの箱か桶に捨てられて、通りにはちりひとつないのですから、エジンバラにとってはよいお手本となるでしょう。(同p270)

明治一一年、英国人旅行家イザベラ・バードは、当時の整備された新潟町を見て、
「今までに見た町のうちもっとも清潔で、町は正確に四角に設計され、五本の道路が無数の短い道と運河で横切られ、すべての物は小船で運ばれる…」と新潟町を絶賛していた。(写真集 新潟市パノラマ館p14)

とあるように、幕末明治期の鎖国から開国へ向かう時代、「開港5港に決まった」ということで、国策の影響から、町はかなり手入れされて、バードのいう「ハンサムな町」に発展した時期が明治初期のような気がします。

図書館の方に尋ねたところ、たびたび起こった大火の影響もあるのではないかとのことでした。

その後の大正、昭和を経て現代に入っても、「戦争」「国体が開催される」「新潟地震」など時代の移り変わりや出来事にモロに影響を受けてきたにもかかわらず、雰囲気、人の気質などを含めた上で生き残っている商店街というのは大変貴重であると思いました。

おわりに

気になった地域の歴史を紐解いてみたら、なかなか楽しい発見がありました。
ほとんど知らないまま歩くのと、少し知識を得た後で歩くのと、全く違う顔を見せてくれるような気がします。今回調べたのは、ほんの一部でしかありませんが、今後もまち歩きをしてみて気になったことがあれば、調べてみようと思います!

取材にご協力頂いた商店街の皆さま、常連のお客さん、そして最後まで読んで頂いた皆さま、ありがとうございました!

スポット情報

フレッシュ本町(下本町商店街)

(参考資料)

  • イザベラ・バード/時岡敬子訳「イザベラ・バードの日本紀行」講談社学術文庫
  • 新潟市「新潟歴史双書1 新潟湊の繁栄」
  • 新潟市「新潟歴史双書8 新潟の地名と歴史」
  • 結城昌幸「にいがた下町の歴史と住吉祭り〜一番組の軌跡〜」プレスメディア
  • 中俣正義「思い出ほろろん<新潟編>」新潟日報事業社
  • 中村義隆「写真集 新潟パノラマ館」郷土出版社

takeyaprof_bustupこの記事のライター 竹谷純平(ライター/Webライター)

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